後悔しない生き方

マニラ駐在後のアラサー独身女性のキャリア:どうなる?どうする?私の人生。

後悔しない生き方

 

 

マニラ駐在後の自分のキャリアがどうなるか不安。

東京に戻って、バリバリ働くのか。

昇任して、これからもキャリアを求めるのか。

また、海外駐在をするのか。

何がしたいのか、自分の気持ちが分からない。

 

 

今回は、アラサー独身女子の今後のキャリアについて、思いを巡らせます。

 

 

来年、日本に帰ります。

駐在後の配置部署希望は出せるものの、明確な意思表示をしておかないと高確率で東京本社。

どんな部署に行っても、新しい職場・新しい仕事内容だから、退屈はしなさそう。

でも、東京本社で働くって、私がやりたいことなのかな。

 

本記事は、今後のキャリアのことで思いを巡らせる内容となっています。
お悩み解決の記事ではございません🙇‍♀️

 

現在、海外駐在をしているorこれから海外駐在をする独身女性の皆さんは、どうお考えなのでしょうか。

また、経験がある方はどうされたのか。その結果、今どうなのか、教えて欲しいです。

 

マニラ駐在前のアラサー独身女性そらのキャリア

「誰かの役に立つ仕事をしたい」「誰かを守りたい」

入社の志望動機は、単純だった。セキュリティー関連の会社に営業職として入社した。

入社後から3年間 法人向けの営業職として渋谷支社で勤務。

その後3年間 支社直轄の営業所で法人営業として勤務。

その後5年間 渋谷支社に戻り、個人営業として勤務。

※個人営業へ配属後、1年後にチームリーダーに昇任し部下の育成と自身の営業スキルを磨く。

その後3年間 マニラ駐在となり、セキュリティー専門員として他社へ出向。

海外駐在は、ずっと希望を出していて(社内選考の試験有り)8年間応募し続け、念願叶ってハッピー駐在ライフを堪能しています。

なぜ、マニラ駐在になったのか

それは、海外駐在を熱烈に希望し続けたからです。

なぜ海外駐在を希望したのか。最初は「知らないことを知りたい」という好奇心から来るものだった。

入社2年目くらいに、何気ない世間話の中で(飲み会の席で、新入社員に「お前は今後どうやって仕事していきたいんだ?」とか聞いてくる先輩いませんでした?)私はいつか海外駐在をしたいんだ、という内容を隣の島のチームリーダーに話をしたところ

あー、女は難しいんじゃない?諦めたほうがいいよ

と言われ、当時の支社長に男性しか受けていなかった研修に私も参加させてくださいと話をしたところ(※その研修は幹部になる時に必要な研修で、一年に2回の座学研修で男性だけ受講していた。)

 

女は参加しなくていいから。
(=女性は幹部にならないから、受けても意味がない)

 

と言われ、なんだかカッチーンときてしまった。

 

こいつらより偉くなってやろう。見返してやろう。

 

闘争心に火がついてしまったのです。

無理って言われた海外駐在も行って、女性幹部にもなってやろう。火種は長いこと消えなかった。

 

できない理由が性別だなんて、今では考えられない時代錯誤感ですが、今から13〜15年くらい前だとまだまだ日本はそんな感じだった。

もちろん、根底には「知らないことを知りたい。」「経験したことないことをやりたい」という好奇心欲は変わらないんだけど。

 

けど、海外駐在に限っては私のちっぽけな意地が背中を押してくれた気がする。

 

実際に、社内選考を毎年受け始め、何度も落ちながら周りに無理だと言われてもシカトし、いろんな人のつてをお借りし海外駐在経験者の方とも話をすることができ、「海外で働く」という期待値が高まってしまい、どうしようもなく「海外で働く」という夢を現実にしたかった。

そんなこんなで8年間受け続けて、今こうして幸せすぎる生活をしている。

意地ってすごいね!

海外勤務に合格するまでの間、とっても長かったけど毎年成長している自分を感じることができた。

それは、今までの上司が「当たり」だったからだ。

今までの上司から学んだこと

入社後すぐに配属になった法人営業では、社会人としてまだまだホヤホヤだった私をいろんな人が助けてくれた。その中でも、上司から学んだことは大きかった。

初めてのチームリーダーのAさん

入社後、初めてのチームリーダーのAさん(既婚女性、年齢当時40過ぎ?)。
伝説の営業女性として有名だった。男性脳の強い女性で、行動派。
周りから一目置かれる存在で、「女性でも、こうやってバリバリ働けるんだ!」と強い希望を持てた。社内で、唯一私の海外勤務を応援してくれた人だった。

女性キャリアのロールモデルがまだまだ少なかった時代、人間的にも尊敬できる女性上司に出会うことができたのは幸運だった。

Aさんから学んだこと:「周りを巻き込んで仕事をする。自分の仲間を増やす。」

情熱的なK所長

その後、営業所勤務となりK所長に大変お世話になった。K所長は、Aさんとは違い「猪突猛進の根っからの営業職」でパッションの強い人だった。
このK所長は営業成績が良いのはもちろんのこと、支社のムードメーカーで、いろんな意味で周囲から一目置かれる存在だった。

自分に正直な人で、部下のことを大切に思ってくれる昭和な人。
クレームを起こして、お客さんから怒鳴られた時も、「よし、とりあえず客先に一緒に行こう!」と即決してくれる、とっても心強かった。何もかもに一生懸命で、人柄と行動力、めげない心で営業成績が勝手に伸びているような人だった。

K所長から学んだこと:「営業は情熱だ!行動だ!お客様に絶対に届く!顧客満足度を上げれば成績は自然についてくる!」

私は、このスタイルの営業が好きだった。

 

そして、渋谷支社に戻り、個人営業としてリスタート。

法人と個人とでは、営業の仕方が全く違い大変勉強になった。個人の財布は簡単に開かない。
納得するまで、開こうとしない。良い提案であっても

 

・・・この営業さん、なんか嫌だわ

という理由で失注する。

プライベート(家族構成や行動パターン)に踏み込んだ提案をするため、最初の警戒心が半端ない。
しかし、一度心を開いてもらうことができれば、スムーズだった。

コンスタントに紹介をもらうことができ、終盤は「誰かの紹介しか受け付けません」的な殿様スタイルでも、成績は悪くなかった。(その分、難易度の高い仕事が多かった。)

ロジカルシンキングのY課長とDリーダー

この時にお世話になったのはY課長とDリーダー。

この二人は、K所長と真逆の「超ロジカル思考」。K所長のパッションを引き継ぎ、いざ個人営業に参戦したものの、あまりの営業方法の違いに、最初はうまくいかなかった。

K所長のようなパッション!でうまくいく場合もあったので、成績は悪くなかったけれど「上司が部下を守る」というようなK所長の時には常に感じていた絶対的な安心感はなかった。

あんまり覚えてないけど、Y課長とDリーダーとはよく言い合いになっていた気がする。

駄文、潜在的に

 

・・・この人たちは私を守ってくれる上司ではない

 

と思っていたから、つい強い口調になってしまった気がする。

関係が膠着しているものの、冷静と情熱の間に挟まれた私はどうすることも出来なかった。

でも、このままじゃダメだと思い、二人を観察することにした。どこか共通点はないか・良いところがないか、ずーっと観察した。

そうしたら見えてくるものがあった。

「猪突猛進に動くのは効率が悪い。最短ルートで結果を出すためにはどうすれば良いのか。」

「クレームを極力なくすためには、教育が第一優先。チームメンバー全員にロープレ指導をして、受注までのルートマップを作り、全員がそれなりの提案力がつくようにする」

「最短ルートで成果を出すことができれば、上司も部下もwin-winになる。」

こういった考え方が見えてきた。

彼らも、違う角度から部下のこと・チーム全体のことを考えていたんだということに気がついた。

そこから、仕事が面白くなった。見方を変えると、こんなにも新しい発見があるのだと感じることができた。スポンジみたいに彼らの論理的思考を吸収できた気がする。

Y課長・Dリーダーから学んだこと:「論理的に物事を考えれば、道筋は見えてくる。客観的に分かりやく仕組みを作ることによって、伝承していくことができる。」「人材育成=自分育成である。上司としてのスキルを高めてこそ、良い教育ができる」

この上司2名とは、海外駐在中であっても一時帰国の際に会ったり、ライン等で連絡を取り合う仲である。(Dリーダーは退職をされて、今は別の会社で働いている。)

バランス感覚抜群のU班長

そして現在の上司はU班長。

彼はバランスが抜群に良い。交渉力が強く、他班との難しい調整内容を一瞬で解決してしまう。

ユーモアもあり、周りを和ませる雰囲気を持つ。超絶仕事ができる人で自分自身や相手の感情のコントロールに長けており、喧嘩腰になっていた相手を一瞬でなだめる。

班長は、とっても話しやすいのでついつい愚痴をこぼしてしまうけど、最後はほんわかした空気で終わらせてくれる、そんな人間ができた人だった。私自身の仕事内容には口を出さず、時々絶妙なアドバイスをくれる人。

U班長から学んだこと:「部下を信頼し、助けを求めてくるまで様子を見る。(そうすることによって部下が成長する)」「難しい交渉内容であればあるほど、朗らかな対応をする」

 

こう振り返っても、私は上司に恵まれ過ぎてる。良いところ・真似したいと思ったことは全部吸収した。
私がここまでやってこれたのは、確実に上司のおかげだと思っている。

同期にも恵まれた。退職したり、地方へ引っ越し離れ離れになってしまった人もいるけど、駐在中も連絡を取り、近況報告をしたり帰国すれば必ず会う。

部下にも恵まれた。素直で優秀な子たちばかりだった。彼らのおかげで成長できた。

全てが愛おしく、感謝しかない。

マニラ駐在中の働き方

マニラ駐在では、3年間の期限付きの出向という立場なのに、皆さん良くしてくれて孤立感を感じることなく職務を全う出来ている。発言しにくいことは一つもない。

仕事内容も、日本にいた時より「タイムリミット間近の切迫した仕事」や「突如入るトラブル対応」は半分以下。

そもそも、部下の育成がないからそれだけでも半分以下。

決裁権が自分にあり、精神的な自由度が高い。

土日は基本的に休みだし、時間外に電話が鳴ることはほぼないし、帰れないくらい仕事に追われる生活もない。無意味な会議はない。ノルマに追われる生活もない。

結果、一つ一つの仕事に集中することができている。

 

もう、今の環境が最高すぎる!!

アラサー独身女性のキャリア:マニラ駐在後、やりたくないこと

やりたくないことは、この3つだけです。(過去に経験有り。)

プライベートを無くすような働き方はしたくない

マニラ駐在前は、土日休みなし(個人営業だから、土日こそ仕事)。

平日に振休を取得しても、仕事用携帯電話が鳴る。
(平日は、個人顧客以外から電話がかかってくる&社内の電話も多かった)。

昇任するために、いろいろ頑張ってた。損得考えて行動して心が疲弊することもあった。

土日に仕事の電話がかかってきて、彼氏そっちのけで仕事モードになってることも多かった。

そういうの、もういいや。疲れちゃった。

部下を持ちたくない

部下から学んだことは大きかった。

部下の成長が自分の仕事の生きがいでもあった。

十分学ぶことができた、だから、これからは部下の育成を自分の仕事にしなくていい。

部下の数が多ければ多いほど、突発事案が多飼った。予定も行動も乱されるのは、もういい。

もちろん、部下に助けてもらうこともたくさんあった。ピンチヒッターで行ってもらうことも多々あった。

チームで働かない以上、リスクもある。一人だから、全部自分でやんなきゃいけない。
けど、自由度が高い。責任分界点もはっきりする。これ以上のメリットはない。

私は、自由が欲しい。

東京で働きたくない

昇任するなら、東京本社で働く方が絶対有利ということは分かってる。

でも、昇任するならプライベートを犠牲にして働かなきゃいけない。

それは嫌。がむしゃらに働く時期は、もう過ぎた。

昇任競争のステージから降りる私には、東京本社で働く理由がもうない。

東京はコスパが悪すぎる。毎月8万円出しても都内で1Kの部屋しか借りられない。何のために働いてるかマジで分からん。ランチも高い。

東京で、もう疲弊したくない。

マニラ駐在後のアラサー独身女性のキャリア:どうする?駐在後の希望配属先

どんな働き方をしたいか、改めて考えてみた。

土日休みor平日でもちゃんと休みが取得できれば良い。

誰かのために働いている感が欲しい=現場主義なのかな?

残業は、極端に多くなければ良い。

ある程度の裁量権が欲しい。

この4点だけ。それを達成できる部署はどこなのか。

2パターン思いつく。

東京本社以外の地方都市で営業として働く。

昇任しないと給料が上がらないものの、拠点が東京以外であれば一人で生きていくには十分な給料をもらっているので、地方都市で働きたい。

かつ、なんだかんだ営業は辛いと思っていたけど、下記メリットは捨てがたい。

・提案内容を自分の裁量で決められることが多い
・自由な働き方が(事務職と比べてまだ)できる
・営業経験から得られる対人スキルがある
・成績を残せば何も言われない
・インセンティブがある

 

私は、事務職は性格上向いていない。ずっと同じことを間違えずにやって、成長がないまま時間を過ごすのは拷問だ。

企画職は、自分の企画がリリースされるまで鬼のように働き、リリースできたと思ったら第一線の営業員から「こんな商品売れない」「システムエラーが多い」と言われ、頑張ってリリースしてもユーザーから、ありがとうと直接言われることはない。

人事部・広報部は、未知な分野だけど、誰かから「ありがとう」と言われるのかは不明。

やっぱり、今のところ営業職が一番合ってる気がする。

東京以外で働くとしたら、関西・中部・北陸になるけど(私の会社は全国に支部がある。)中部なら、姉が名古屋に住んでるし幼少期は名古屋で過ごしたことがあるので土地勘あるし、良いかもしれない。

大口担当が集まる支部なら、部下を持つこともないし(支社や支店は部下育成あり)比較的自由度が高いのではないか、と考える。

そこで、ほどほどに働く人生も悪くない。姉の飼っている犬と可愛い姪にいつでも会えるのも幸せ。

東南アジア支店へ駐在する

マニラ駐在は、セキュリティー専門員として出向しているから、社内セキュリティーのアドバイスをする形で、エンドユーザーから感謝されることはない。

しかし、出向ではなく東南アジア支店に駐在になれば、ゴリゴリの営業かつそれ以外の雑務も全部自分でやることになる。少数精鋭しかいないから、部下はいない。

正直、忙しくなるだろうけどマニラ駐在のスキルを生かすことができる「海外」で働きたい。

このまま帰国しても、The 日本企業!の体質で働くことが苦痛になる可能性が高い。

家族は反対するけど、私の人生だし、やりたいことをやりたい。

どちらにしろネガティブなこと

東京で築き上げた友人が、一気になくなる。またゼロから人間関係を組み立てるのは難しい。

・・・それだけか。

親に会いに頻度多めに帰って、そのついでに友達に会えればそれで良い気がする・・・。

デメリットもネガティブなことも、何一つないや。

もう東京を離れよう。そうしよう。

アラサー独身女性のキャリア:結婚について、どう考えているか

結婚・・・?どうするんでしょうね。私が一番聞きたいわ笑

正直、すっごく結婚したいわけじゃない。変なやつと結婚するくらいなら、一生独身でいる方が絶対に幸せになれると思ってる。

過去の恋愛から何を学んだのか、いまだに分からないけど、焦って結婚したら絶対失敗する。歴代の彼氏全員、本当に結婚しなくてよかったと心から思っている。

万が一結婚していたら、この駐在生活を満喫できていなかった可能性が高いし、今は独身でよかったなと思う。

駐在生活を満喫できたので、帰国したらパートナーを探したいな。

でも、これだけやりたいこと全部やって、帰国後に運よくパートナー見つかってしまったら、人生コンプリート感が出てしまい、本当にこれ以上幸せになっても良いのだろうか・・・と思ってしまう自分がいる。

職場にも人にも機会にも家族にも友人にも恵まれている私に、パートナーが加わったら最強になってしまうではないか、と。

帰国後、再度海外駐在になると、それこそ結婚のタイミングを完全に逃してしまう気がする。

いや、日本にいても結婚できない可能性はあるんだけどね笑

かといって、海外の日本人コミニュティーは狭いから、駐在中、その中で見つけるのもちょっとな・・・という感じがする。

マニラ駐在後は、なるべく早く東南アジア駐在にシフトしたいんだけどなぁ。結婚がネック。どうしよう。

アラサー独身女性のキャリア:家族について、どう考えているか

親は横浜、姉は名古屋在住で可愛い姪が二人いる。

家族目線だと、もう海外で働いて欲しくなさそう。毎日電話やラインしてるけど、物理的な距離がネックみたい。特にコロナが世界を覆ったときは、結構言われた。

まぁ、このマニラ駐在も最終合格してから、初めて家族に言ったからね。こいつ、何言ってんだ?って顔されたもんな。

保守的な家族のもと育ったのに、家族の中では、私は何するかわかんないキャラになってる。

家族は大好き。だから尊重したいと思いつつ、家族の意見はほどほどに。

家族に反対されたからってだけで、海外駐在を取り止めする決定打にはならないです。

相変わらずワンパクで、ほんとすんません。

アラサー独身女性のキャリア:まとめ

とりあえず、帰任が2021年3月なので、もっともっと考えていろんな人の話を聞いて、どちらかの希望を書いて出そうと思う。

どちらかに決まらなかったら2つ書く。後は、会社に決めてもらう。

とはいえ、海外駐在だとプライベートの時間もなくなりそう。

でも、行きたい!って思う。矛盾してる、ワークライフバランスを重視したい!という割には、忙しいって行く前から分かっている海外支店働きたいなんてさ。

結局は、私は日本ではなくて海外支店で働きたいんだよ。海外支店なら、激務でも楽しそう!って思ってるってことだと思う。

なんだか、まだまだ決まらなさそう。

同年代and同状況のアラサー女子は、駐在後にどういう人生を送ってるんだろう。

気になる。誰か、連絡ください・・・!

 

 

おわりっ!

 

【まとめ記事】マニラ駐在員向けお役立ち情報6つ。マニラ駐在は天国!
駐在inマニラが決定してドキドキしている皆さん。ようこそカオスな街、マニラへ。危険なイメージのマニラ駐在と決定し落ち込んでませんか?実は、フィリピンは駐在先としては大当たりです。安心してください。大当たりだと思う理由6つを、マニラ駐在女子の私が自信を持ってお伝えします!
スポンサーリンク
スポンサーリンク
スポンサーリンク
♪みんなにシェアする♪
バリキャリ子@TOKYO
タイトルとURLをコピーしました